自分の一票に意味が無いと思っている君へ
参議院選挙の投票日が近づいてきている。和光高校の3年生でも、7月22日生まれの人までが投票権を持つことになる(※)ので、およそ高3生の3分の1近くは投票権を持っていることになるのではないだろうか。
3年前に法律が改定されて18歳選挙権となり、高校生でも投票できる人が出てきた。よく知られているように、最近は、投票に行く人が減っている。参議院選挙では、1992年の選挙で投票率が50%ちょっとになって、6割を切ってから、一度も6割を超えていない。4割以上の人が投票しない選挙に正統性があるのかどうかはさておき、とにかく選挙の結果が、日本の先行きを大きく左右する。これで良いのだろうか、と思わざるを得ない。
一体なぜ、ひとびとは投票に行かないのだろう。メディアの記事や、私が社会科の教員として授業で聞いてみたりしたことから、大まかに言えることは次のようなことだろうか。
まずは、「どの候補またはどの政党に投票しても差はあまりない、ないしは違いが分からない」ということ。しかし、どの政党に投票しても違いが無いということなどはない。確かに選挙ポスターとか広報だけでは情報の分量が少ないからみんな主張が同じように見える。とはいえ、私が仕事上関りの深い教育の分野一つだけ取り上げてみても、政党ごとに主張はずいぶん異なるし、似たようなスローガンを掲げていても、国会での行動はずいぶん差がある。そこを見抜くには、有権者にも学習が必要かなと思う。
もう一つよく聞くのは「自分の一票では、結果は何も変わらない」ということ。残念ながら、これはその通りと言わざるを得ない側面がある。国会議員の選挙では数十票差で当落が分かれることはあっても、一票で結果が左右されることはまずない。市町村や区の議員選挙では当落が一票差とか、最下位当選者が同数になるとかいうケースはたまに見られるけれども。でも、1%の人が考えを変えると日本全体では100万票が動くことになる。百人に一人でもこうなのだから、これが百人に二人や三人だったら結果は大きく変わる。
君が一票を投じることが、1%の変化の最初の一歩につながるかも、と考えてみることも大事なのだと思う。「そうは言ったって、変化なんか起きるとは確信できないじゃないか」と反論されてしまうかもしれない。仮にそうだとしても、どのように一票を投じようか、と考える行為自体が、政治について考えることになり、そのことが君の政治についての知識を増やし理解を深めることになる。考えて一票を投じるというのは、そのような形で民主主義を支えているのだ。君がよく考えて投票に行くことを心から望んでいる。
※日本で生まれ、居住しており、かつ年齢条件を満たしていて、様々な事情から選挙権を持たない人々がいることを忘れてはならないだろう。投票日翌日でも投票できるのは、「年齢計算に関する法律」というものがあって、誕生日の前日午後12時に1歳加えるというルールなので、前日には権利が発生しているという考え方によるのだそうだ。