英語民間検定試験を大学共通テストに活用することが延期されて


本日(11月1日)、英語民間検定試験を大学入学共通テストへ活用することの延期を政府・文科省は発表した。延期が決められた詳しい背景はこれから報道され検証されていくだろうが、正直なところ何を今さら、というところである。延期の理由になっている問題点は前々からずっと指摘されてきたことで、つい最近分かってきたことではない。問題があることを分かっていて遮二無二進めてきただけの話である。

これから1年間かけて見直しをしていくのだそうだが、そもそも今回の「改革」なるものの発想には大きな誤りがあると思う。文科省のホームページによれば、「高校3年生の英語力には『話す』『書く』ことに課題があり、大学入試においても4技能(読む、聞く、話す、書く)の英語力を適切に評価することが必要」なのだそうだ。それは入試を変えることによって高校現場の教育を変えようとする発想ではないか。

そもそも、外国語を「話す」力・「書く」力はそんなに簡単に育つのだろうか?「話す」ことや「書く」ことには、受けとめる相手が必要だが、そういう場面は日本の国内においては疑似的にしか用意できないことがほとんどではないか。疑似的にしても細かく生徒の面倒をみるためには、少人数での授業が用意されなければ困難だろう。「話す」こと、「書く」ことの課題で出てくる誤りは様々で、しかも誤りをたくさん繰り返して初めて正確な運用ができるようになるはずである。「話す」こと、「書く」ことを重視したいなら、少人数の授業を可能にするような手立てをすることがまず先だ。勿論、そのためには多額のお金がかかる。そして、順番としては、高校現場の教育が一定変わってきたという状況があって、「話す」ことや「書く」ことも試験の対象になるというのが筋ではなかろうか。

現行の大学入試で、「話す」ことが課されることはとても少ない。「書く」ことは一部の国公立大学で、かなり難しい課題が出されるところはあるが、私立大においては珍しい。それは、入試というものにかけられる労力・費用・時間に限界があることを示している。実際、文科省のホームページに「50万人規模の試験で、共通テストとして『話す』『書く』能力を含めた試験を実施することは困難なので」と記されている。国公立で「書く」課題の出る大学は、私大に比べ定員が少なく教員の数が多いという特徴がある。

限界がある中で、何を試験するか、はそれぞれの大学が自分のところの責任で決めればよいのではないか。某有名私大の先生から、学生にレポートを書く力が無かったり、プレゼン能力が無いために、単位習得が危ぶまれるという話を聞いたことがある。その大学は一般入試ではほぼ全ての科目で、記号で答えるか単語を書かせるという出題形式を採用している。だからレポートが書けなかったりする学生が入ってくるのは当然だろう。必要なら手間をかけて入試をしてもらえればいい。英語を「話す」こと、「書く」ことを問いたいなら、各大学が「読み」・「書き」の試験で、一定程度のところで足切りし人数を絞って試験をするという方法もあるのではないか。

入試を通じて学校現場を変えようとするのは間違っている、と先に述べたが、入試に学校現場が影響されることがあるのは事実だし、無視できない。だからこそ、これから先、生徒のこと、そして現場の教員のことを考えた丁寧な議論が行われることを願う。

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