第74回 和光高等学校卒業式 卒業生答辞
次に、和光での学びを一言で表してしまうなら、
『自由』いや、違います。
『責任』個人的にはもう一歩踏み込んで考えられるはず。
そう、それは『気づく』ということだと考えます。
小中高と和光で12年間過ごしてきた私にとって、「気づく」の3段階とも呼べる、微妙に違う「気づき」が、この12年間に散りばめられていました。
まず、第1段階!和光鶴川小学校は、五感を働かせて感じた、心の底から湧き上がる何かに気づくこと。
そして、第2段階!
和光中学校は、感じたことを人に話してみて、新たな気づきを得ること。
いま現在、第3段階!
和光高校は、まさに今まで得た気づきから、自分が何に気づけるようになるのか。それが試されている場所であったと振り返ることができます。
身近な例を挙げると、3年2組、つまり自分の所属するクラスです。入学して数ヶ月の間は正直、『このクラスで3年間はちょっと...』と思っている自分がいました。中学校では、授業中のスマホ使用を無くすために、HRを使ってクラス全員でどうすればやめられるのか、徹底的に話していたのにも関わらず、いざ高校1年生の教室を見渡せば、スマホを使用する人がいるのは明らかであるほどでした。年間行事の体育祭や文化祭においても、いまいちクラスとしてまとまったものが作れているとは言えない状況だと、個人的には感じていました。クラスがどうにか良い方向に進んでいってほしいと思い、色々な役職に挑戦しましたが、その渦中で徐々に、今までのやり方だけでは通用しないことが分かってきました。
それまでの学校は、教員や保護者によって事前に作られた「場」が存在していたので、「場」を作る努力をせずとも、ある程度クラスのまとまりが生まれ、授業への向き合い方や行事の取り組み方について考える機会がなかったのだと痛感しました。
私は、和光高校という過去最高に『自由』な環境に放り込まれたんだなと気づいた時、『まずは自分の意見や言っていることは、教室中、いや学校中、いや世界中の誰にも絶対的に話を聞いてもらえない・見向きもされないものなのかもしれない』と、超ネガティブとも捉えられる考え方をするようになりました。今では確固たる考え方であると言えます。これは決して誰かへの皮肉でも文句でもなんでもなく、自分にとってとても素晴らしい考え方なんだよと言わせてください。自分でも難しく感じているので、具体的に言うとするならば、「人に話を聞いてもらえない前提で、なにか意見や提案をするようになった」ということです。
何事もスタートはゼロと考えられれば、どうやって0を1に、1を2に、2を…40にと、人に話を聞いてもらえる、見向きされる数を増やしていくためには、どうすれば良いのか考えることができます。クラスの仲間たちは学校に何を求めているのか、どれほどの熱量を学校に向けていたいのか、どんなことに理想を描いて、どんなことに諦めをつけているのか。一見超ネガティブに思える考え方で、3年間同じ空間で過ごすクラスメイト一人ひとりに気づきながら、仲間として気にかけていたいと思える。そんな超超ポジティブな考え方へと繋げることができました。
このことに気づいてからの、学校生活は圧倒的に楽しい方向へと確実に変化して、進んでいったと感じます。最もクラスの変化を感じたのは、2年生の文化祭にて、ジェットコースターの作成が本番に間に合わないのではとなった時に、『何か手伝えることある?』という言葉が教室中に飛び交っていた瞬間です。1年生の時と比べてそういった発言が増えていることを実感して、クラスとしては文化祭の危機でしたが、自分はそういった言葉が「何とかなるかも」という自信に繋がり、やけに幸せな気持ちだったことを鮮明に覚えています。
ここまで、勝手に、個人的なクラスのことをあれこれ話してきましたが、間違いだらけだったら、2組のみんな、良い意味での文句をお待ちしております。
つまり、12年間の『気づく』という学びのうち、第3段階である和光高校においては、仲間を気にかけて気づいたことで、どの方向にどんな速度でどこまで進めばいいか、考える。このことに自分で気づくということを学びました。
最後に、皆さんは私がここまで話したこと全てに、共感しましたか?もし1回でも「あれ?」と引っかかることがあったなら、今までの人生で『気づく』力を身につけられたということだと思います。そして、私が和光で気づいたことがもう一つあります。それは、自分が誰かに心配される・自分が誰かのことを心配できるのは、素晴らしいことであるということです。一見、心配と聞くと、不安な気持ちのあらわれに思えますが、心配という感情は、相手のことを大切に考えていないと湧いてこない気持ちなのだと、私は思います。これから大人への階段をのぼるたび、私達はより一層、大人という数字で決められた、イマイチ実感の湧かない社会的な立場で見られ、なにかドジを踏んでも、「自己責任」で片付けられてしまうことも多くなるでしょう。その環境の中で、誰かに心配されることも、学生の時より少なくなると思います。もしそうなったとしても私は、今までの仲間たちやつながりのある人、そして、これから出会うであろう人たちのことを、近くにいようが離れていようが、今を全力で楽しく生きていけているようにと、ぜひ心配させてください。
